計量資料展示のコーナーFestival of The Measurement Day
東京都計量検定所の計量行政の歴史 計量展示室のWeb版特別展示
一昨年の2019年5月に、質量キログラムのSI単位の定義が改定されました。
これは、約130年前にキログラムの定義が制定されて以来のものです。
これまで約130年の長期間にわたり日本の質量キログラムの定義として使用された旧「日本国キログラム原器」は、その役割を終えたため、2021年10月15日に重要文化財に指定することが文化審議会文化財分科会から文部科学大臣に答申され、2022年3月22日に指定されました。旧「日本国メートル原器」については、既に2012年4月20日に答申され「メートル条約並度量衡法関係原器」として同年9月6日に指定されており、今回のキログラム原器はこれに追加指定されたものです。
詳細はこちらの産業技術総合研究所の特設ページをご確認ください。
そこでこのコーナーでは、長さメートルと質量キログラムのはじまりを解説します。
併せて、東京都の計量業背の歴史と東京都計量検定所の計量展示室についてもご紹介します。
1メートルのはじまり
1 メートル誕生前
現在、世界共通で使われている長さの単位は、「メートル」です。
この単位は、フランス革命のころにフランスで生まれた新しい単位です。
このころのヨーロッパの国々では、国内はもちろん、国と国との取引が活発になり始めました。
しかし、使っている計量の単位が国や地域ごとに異なるため、大きな混乱が生じていました。
当時の長さは、人間の体の一部の長さを使うことが多かったようです。
例えば、「メートル」が生まれる前にフランスのパリで使用されていた長さの単位に、「ピエ・ド・ロワ」があります。
直訳すると「王の足」で、メートルで表すと0.352mに相当するそうです。
長さや長さから求められる面積や体積の単位は、税の算定にも使われていました。
腐敗した王政では、税を取立てる時に長いものさしを使い、払い出すときに短いものさしを使うなどするごまかしが横行していました。
そんなこともあり、フランス国民は、誰でもが安心して使用することができる長さの単位を新しく作ることを強く決意したのです。
【尺の漢字の成り立ち】
2 メートルの誕生
メートル以前の長さの単位は、「王様の足の長さ」のような、王様本人がいないと正確な再現がむずかしい曖昧な基準でした。
そこで、「すべての時代に、すべての人々に」の精神で、万人に受け入れられる新しい長さの単位を作るため、18世紀末までにいくつかの新基準案が検討されました。
その結果、①大きさが変わることがない、②誰でもその大きさを確認できるものとして、地球そのものの大きさを新しい基準とすることが決りました。
地球の赤道の長さと北極と南極を通る地球の子午線の長さの2通りが候補として挙がりました。実際に長さを測量する際に赤道周辺は海やジャングルが多く、実際に測量するのに適さないため、測量のしやすさを考えて次のとおりとすることにしました。
★ 新しい長さの基準 地球の4分の1周にあたるパリを通る北極から赤道までの子午線の長さを、当時の最新の測量の技術を使い実測と計算で求めて、その長さの1千万分の1を1メートルとする。 |
ちなみに、メートルは「測ること」を意味するギリシャ語メトロン(metoron)が語源です。
3 地球の測量とメートルの決定
1875年(明治8年)5月20日、フランス政府の提唱によりパリで「メートル条約」が欧米17ヵ国間で締結されました。しかし、この時の日本政府はメートル条約への加盟を見送りました。なお、2000年(平成12年)に「メートル条約」締結125周年を記念して、「メートル条約」が締結されたこの5月20を「世界計量記念日(World Metrology Day)」と定めています。
4 メートルの定義
このようにして1メートルの長さが決まりましたが、1メートルを再現するために毎回地球を測量することはできません。
そこで、1メートルの長さの「ものさし」を製作してートルの定義とすることにし、当時の最高の技術を使い、白金・イリジウム合金で「国際メートル原器」を作りました。
そして、メートルの定義は、「メートルは国際メートル原器が氷の融解しつつある温度における長さ」と1889年に国際度量衡委員会で決定しました。
日本は「メートル条約」締結の10年後の1885年(明治18年)にメートル条約に加盟し、メートル条約に基づき1890年に「日本国メートル原器(No.22)」が日本に交付されました。
その後、1891年(明治24年)には度量衡法を制定して尺貫法と併用する形でメートル法を国内に導入しました。1921(大正10年)4月11日には改正度量衡法が施行され、従来の尺貫法を廃止して国際的な単位系であるメートル法を使うことを決めました。実際にメートル法への統一がなされるのは昭和34年まで待たなければなりませんでしたが、これを記念してこの改正度量衡法が施行された4月11日を「メートル法公布記念日」としています。
その後、科学技術が進歩し、より正確な基準が求められるようになったため、1960年に 「メートルは、クリプトン86の原子の準位2p10と5d5との間の遷移に対応する光の真空下における波長の1 650 763.73倍に等しい長さとし、国際度量衡総会の採決に従い政令で定める方法により現示する。」 と人工物による定義から、物理標準による定義へと大きな改善がなされました。
現在では、1983年に次のとおり光の速さにより長さが再定義されています
★ 長さメートルの定義
メートルは、1秒の299 792 458 分の1の時間に光が真空中を伝わる行程の長さである。 |
1キログラムのはじまり
1 キログラムの誕生
新しい長さの単位の基準と同時に、フランスで質量の新しい単位の検討も始められました。
そして、長さ「メートル」の基準が決まると、質量「キログラム」が次のように定められました。
★ キログラムの暫定基準
1デシ立方メートル(1メートルの10分の1(10 cm)の立方体の体積)を1リットルと定義し、1リットルの容積を満たす純水の質量を「1キログラム」とする。 |
キログラムは、1000倍を表すキロという接頭語と、「小さなもの」を意味するギリシャ語グラマ(gramma)が語源です。
しかし、当時の技術では、①温度の管理が十分にできなかったこと、②水の蒸発による減量を防げなかったことなどの理由で、この新しい基準を正確に再現することが技術的に困難なことが判明しました。
2 キログラムの定義
再現性に問題があるため、この基準の質量に相当する金属製の分銅を作成して、キログラムを現示する分銅とすることにしました。
そして、材料には国際メートル原器と同じ(当時原器用として最良と考えられた)白金90%・イリジウム10%合金の使用を決めました。
形状は、①円筒形の扱いやすい形状で②表面積が最小となる寸法 (直径・高さが約39 mm)で分銅を作成し、これを国際キログラム原器としました。
1889年に国際度量衡委員会でメートルと同時に「「キログラムは質量の単位であって、単位の大きさは国際キログラム原器の質量に等しい。」」と定義しました。
日本には、メートル条約に基づき1890年に「日本国キログラム原器(No.6)」などが交付されました。
その後、現示器のため、キログラム原器自体の経年変化による測定値の揺らぎの問題がでてきました。
そのため、ナノテクノロジーへの対応や計測技術の進歩などに対応した、定義の見直しが行われることになりました。
3 プランク定数によるキログラムの定義
キログラムを再定義するにあたり、次の2案が検討されました。
★ 再定義案1:アボガドロ定数を使用した方法
相対原子質量の基準である12C の単原子あたりの質量を基準にすれば、 「キログラムは基底状態にある静止した5.018···×1025 個の自由な炭素原子12C の質量に等しい。」と定義することができる。ここで,5.018···×1025という数値は、アボガドロ定数NA=6.022···×1023/mol の数値の部分を1000/12 倍して求めることができる。 ★ 再定義案2:プランク定数を使用した方法 アインシュタインの関係式を用いれば,エネルギーをE=mc2=hν と表すことができる。ここで、m は物体の静止質量、ν は光子の周波数(振動数)である。エネルギーと質量が等価であり、しかも光子の周波数によってそのエネルギーを表すことができるので、静止質量m と等価なエネルギーをもつ光子の周波数は、ν=mc2/h である。真空中の光の速さc=299 792 458 m/s は,1983年のSI 改定以来,既に定義になっているので、m に1kg を代入して, プランク定数h=6.626···×10−34 J·s を不確かさのない定数として定義してしまえば、 「キログラムは周波数が(299 792 458)2 /(6.626···×10−34)ヘルツの光子のエネルギーと等価な質量である。」と定義することができる。 |
この2案のうち、①アボガドロ定数とプランク定数の間には厳密な関係式が成り立つこと、②他の基本単位との関係、などから、質量の再定義は2のプランク定数を使用した方法が採用されました。
この改定には、プランク定数の確定のための日本の産業技術総合研究所による純粋なシリコン球の精密測定が大きく貢献しています。
2018(平成30)年の第26回CGPM(国際度量衡委員会)において、SI基本単位定義改定が決議され、2019年5月20日から質量の新定義が施行されました。
日本の計量法でも、同日から次のように質量の定義が変更になりました。
質量の新定義
プランク定数を10の34乗分の6.62607015ジュール秒(Js)とすることによって定まる質量(旧:国際キログラム原器の質量) |
シリコン球
新たなキログラムの定義の基準となるプランク定数を決定するために製作したシリコン球です。直径は約94 mmで、正確に体積を測定するために極限まで真球に近くなるように研磨されています。球を地球に例えた場合、真球からのずれは1 mであり、世界で最も真球に近い物体とされています。
定義の改定後は、新たな定義に基づいてキログラムを実現するための標準分銅として利用されます。
シリコン球体積測定用レーザー干渉計
シリコン球を用いてプランク定数を決定するために、NMIJで独自に開発したレーザー干渉計。長さの国家標準である光周波数コムで校正されたレーザーの波長を基準として、シリコン球の直径を1ナノメートルより良い精度で測定する。球の体積は約200方位からの直径測定の結果から求める。
定義の改定後は、プランク定数を基準としてシリコン球の質量を測定する役割を担う。
「メートル法の起源」ダウンロード
令和4年度の「計量展示室特別展示」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を自粛しました。楽しみにお待ちいただいた皆様にはご迷惑をおかけいたします。なお、通常の展示は実施していますので、ぜひご来室ください。
今年度も以前の特別展示で配布し好評だった「メートル法の起源」のPDF版をダウンロードできるようにしましたので、こちらもご利用ください。
「メートル法の起源」は、国際度量衡局(BIPM)のHenri Moreau氏がフランスのLa nature(ラ・ナチュール)誌に1948年に発表した記事です。1953年にアメリカのRalph E Oesper氏がJournal of Chemical Education誌に英訳しました。これをベースに、当時通商産業省中央度量衡検定所(現在の産業技術総合研究所計量標準総合センター)の高田 誠二氏が、日本計量新報社発行の計量新報に寄稿し、昭和34年(1959年)6月8日号から8月17日号まで11回連載したものが、この「メートル法の起源」です。日本計量新報社様のご厚意により復刻をご了解いただきました。今回の復刻に際し、「メートル法の起源」連載に先立って昭和34年3月25日~4月25日の三回に渡り計量新報に連載された記事(「メートル法の起源」の4,5,6,9章)も併せて収録しましたので、ほぼ完全な形で「メートル法の起源」を復刻することができました。加えて、昭和34年当時と比較して地名・人名や旧仮名遣いなど現代と異なる物については一部変更を加えました。また、BIPMの現在の状況など連載当時と大きく異なるものや、理解を深めるのに必要と思われるものについては、注記を追加しました。加えて、高田誠二先生が昭和35年新春に計量新報紙に連載した「キログラム史話」(A. ビランボー)と昭和32年に同じく計量新報紙に連載した「不滅のメートル法」(A. ペラール)を追録しています。
長さをはかる
(㈱イシダ『「はかる」の辞典』より)
むかしむかし、古代の人々が物をはかり始めた時、そのものさしは、一番身近な人間の体でした。手やひじ、足を使い、はては頭を使っていろいろなものを測ったのです。ここではそれらのうちのいくつかをご紹介します。
(1) 「手を使う」キュービット(cubit)
キュービットとは、古代オリエントの基本的単位で「ひじ」の意味があります。ひじを曲げたときのひじの角から中指の先の長さのことで、大ピラミッドやバベルの塔は、このキュービットを使って建てられたと言われています。1キュービットはメートル法の約50cmで、単位の名称は国によって異なりますが、ヨーロッパ諸国の長さの単位の基本となっています。また、中世以降はダブルキュービットと呼ばれる約1mの長さの基準が広く使われるようになったことから、先に説明したメートルの長さを決定するときにこのダブルキュービットを参考にしたと言われています。
1キュービットは2スパンに、1スパンは3パルムに、そして1パルムは4ディジットに分割されます。スパンは手のひらを広げたときの親指の先から小指の先までの長さ。パルムは親指を除いた4本の指の幅。ディジットは中指の幅です。少しややこしいですけど、自分の手で確かめてみるとこれらの単位の関係がよくわかりますよ。
(2) 「足を使う」キュービット(スタディオン)
古代バビロニアでは、砂漠で太陽が地平線から頭を出した瞬間から地平線を離れる瞬間までの約2分間に、人が歩ける距離を1スタディオンと決めました。メートル法では約180mになり、体の部分の寸法に由来する単位とは異なり、一定時間の歩行距離から出た旅行用の距離尺で、移動距離や土地の測量に使われました。複数形ではスタディアとなります。この単位はつい最近までギリシアなどで使われていて、陸上競技場のことをスタジアムと言いますが、これはもともと1スタディオンの走路を持った競技場から由来する名前なのです。
(3) 「頭を使う」地球をはかる
紀元前2世紀のギリシア時代、地中海に面したエジプト北部の都市アレクサンドリアに住んでいた科学者のエラトステネスは、頭を使って地球の周囲の長さをはかりました。書物で赤道に近いエジプト南部のシエネ(現在のアスワン)では夏至の太陽の位置が正午に天頂にあるため、影がほぼなくなることを知ったエラトステネスは、自分の住むアレクサンドリアでは少し南寄りにあることを確かめました。次の年の夏至の日に、太陽の高度を日時計で測り、その角度の違いが7.2度であることを調べました。そしてアレクサンドリアとシエネの距離が5000スタディアだったところから、地球の周囲は約25万スタディア、つまり45,000 kmであると算出したのです。実際の地球の円周は約4万kmですから、2000年前の仕事と考えると驚くべきことですね。
東京都計量検定所の計量行政の歴史
東京都計量検定所は、明治8年の度量衡取締条例公布に伴い設置された計量(度量衡)行政機関です。
わが国の計量制度は、第1次度量衡法(明治24年公布)、第2次度量衡法(明治42年公布)、計量法(昭和26年公布)と変遷し、現在は、平成4年5月20日に公布(平成5年11月1日施行)された計量法に基づき様々な事業を行っています。
計量検定所では、適正な計量器の供給・維持、正しい計量の実施を確保するため、これらの時勢の推移に対応して、適切な執行体制を組み、計量行政を推進してきました。
東京都計量検定所計量展示室のWeb版特別展示
東京都計量検定所(東京都江東区新砂3-3-41)の2階には、日本の計量制度や江戸時代以降の様々な計量器を展示した計量展示室があります。こちらでは、常設展示に加え夏休み期間と11月の計量記念日関連の期間には、特別展示を行っています。今年は残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を自粛しています。そこで、展示室での特別展示に代えてWeb上での特別展示を行います。
なお、東京都計量検定所のホームページ上にも、キログラム原器が重要文化財に登録されたことを記念して、資料「国宝・重要文化財の度量衡器」を編著者のご厚意で特別に公開しています。こちらもぜひご覧ください。
「国宝・重要文化財の度量衡器」は、こちらのページからご覧いただけます。
カレンダーになった計量器たち
(画像等提供:株式会社タツノ)
東京都計量検定所の計量展示室に展示している計量器は、これまで取材協力でテレビや映画、新聞や雑誌などの媒体に取り上げていただいています。最近では、令和2年~4年の3年連続で株式会社タツノの企業カレンダーに展示室の計量器が掲載されました。
そこで今回のWeb版特別展示では、「カレンダーになった計量器たち」と銘打ち、このカレンダーに使われた計量器の画像を公開いたします。カレンダーの画像をクリックすると計量器の大きな画像を見ることができます。
令和2年度版
令和3年度版
令和4年度版
計量展示室のご案内
計量展示室
計量検定所 本所2階の計量展示室では、日本の計量制度や計量技術に関する、新旧さまざまな資料を随時展示しています。(見学無料)
※ 公開時間 10:00~16:00、 土日祝日及び年末年始休み
主な展示品紹介
計量展示室には、メートル原器やキログラム原器のそれぞれのレプリカを展示しています。また、江戸時代の両替天びん、昭和初期のタクシーメーター、戦時中のはかりなどから現代までの珍しい計量器や、暮らしに身近なさまざまな計量器等も展示しています。
展示例:第2次世界大戦中および終戦直後のはかり
戦時中の日本(World War Ⅱ)
第2次世界大戦(太平洋戦争)中は、物資の不足により生活するうえで様々な不便がありました。特に当時最優先とされた兵器の原材料となる金属類の不足のため、厳しい金属の供出が義務付けられました。
計量器でも、通常金属で作られている分銅やおもり、そして「はかり」などもその多くが供出され、新しく金属製で作ることもできないため、展示品のようにやむなく陶器で分銅やおもりを作り、はかりも木製ボディーのものが作られたのです。
「陶器製のおもり」と「木製のはかり」
戦時中の東京の風景
焼け跡に呆然とする老婦人 |
焼け跡にできた外食券食堂 |
防空壕でのモグラ生活 |
金属の供出 昭和13年、政府は戦局の悪化と物資の不足、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うため、鉄鋼配給規則を制定する一方、不要不急の金属類の回収を呼びかけ声明を発表しました。しかし法的強制力の無い任意の供出であったため、昭和16年8月30日には国家総動員法に基づく金属類回収 令を公布し、同年9月1日施行され、官公署・職場・家庭の区別なく根こそぎ回収へと進むこととなったのです。 昭和17年には、各県が資源特別回収実施要綱を定め大々的な回収に乗りだし、翌18年9月には東京都で金属非常回収工作隊が結成され、全ての役所と国民学校・中学校の暖房器機から二宮尊徳像まで回収対象となり、家庭の鍋釜・箪笥の取手・蚊張の釣手・店の看板なども回収されるようになりました。 さらに、同年11月には「まだ出し足らぬ家庭鉱」のスローガンのもと回収が強行され、火箸・花器・仏具・窓格子・金銀杯・ 時計側鎖・煙・置物・指輪・ネクタイピン・バックルに至るまで根こそぎ回収されるようになったのです。 宗教施設も例外では無く、寺院の梵鐘も数多く供出されたが、鐘楼は梵鐘の重量でバランスを保つ構造になっている事から崩壊の危険が有り、多くの寺院では石・コンクリート等で作られた代替梵鐘を吊り下げて対応したそうです。 地方鉄道のレールも対象となり、複線の鉄道路線はレールが撤去されて単線化されるなどしました。 また、軍神第一号の広瀬武夫海軍中佐の銅像や、各地の戦没者慰霊のために献納された砲弾等の鉄製品も対象になり撤去されるまでになってしまいました。 旧万世橋駅前(東京都千代田区)に有った広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像 …昭和18年に金属供出で撤去 |
占領下の日本(Occupied Japan)
1945年(昭和20年)9月2日に、日本政府代表は戦艦ミズーリの船上で連合国との間で降伏文書に正式に調印した。この日から「サンフランシスコ講和条約」(正式名:日本国との平和条約)が1952年(昭和27年)4月28日に発効するまでが、いわゆる「占領下の日本」と呼ばれる時代です。
占領下の東京の風景
瓦礫の中の国会議事堂 |
米軍帝都を行進す |
焼野原 |
終戦直後の日本の貿易は、GHQ(連合国最高司令部)の管理のもとに行われた管理貿易でした。
その後、第二次世界大戦後の経済混乱期からの回復を経て、1949年(昭和24)には単一為替レートが設定され、民間貿易も再開されました。
今回展示している輸出用のばね式指示はかりには、占領下の日本で製造したことを表す(Made in Occupied Japan)の表示が見られます。
クイズとアンケートに答えて、景品をもらっちゃおう!!
◎Web版都民計量のひろば2022
◎お問い合わせ
Web版「都民計量のひろば2022」についての、お問い合わせ、ご意見、ご要望などは、 都民計量のひろば実行委員会事務局までメールでご連絡ください。
都民計量のひろば 実行委員会事務局 東京都江東区新砂3-3-41
問い合わせメールのアドレス:S1122001@section.metro.tokyo.jp